孤島の鬼

日々の備忘録。文章表現、感情表現の練習の場です。更新はなるべく毎日・・・

【読書】夜歩く【途中経過】

横溝正史の夜歩くを読み始める。筋肉少女帯の同名曲から作品タイトルは知っていてこの度初めて読んでいるのだが、序盤からくる病の芸術家がキャバレーで撃たれる、打った女は逃走して行方がわからない、その事件は古神家という歴史のある名家につながって、そこでは古くからの因習、血の伝統に縛られていて、、、というような雰囲気たっぷり、やっぱり俺こういうの好きだわあ、と再確認。おどろおどろしさの中にある一定の理屈、フリークスが集まる世界観など、非常におもしろい。タイトルの夜歩くは登場人物の一人、八千代が夢遊病者であることから。この八千代がまた食わせ物で、近づく男を破滅に導くファムファタール的な悪女を連想させる。まだ導入部分をさらっと読んだだけだが、面白くなりそうな気配がぷんぷん。

よくよく考えてみると、横溝正史の作品をちゃんと本で読んだか、と言われると怪しい。犬神家の一族などの過去に映像化された作品や、金田一少年の事件簿の雰囲気から金田一耕助の雰囲気、人となりは知っている(知っているような気になっている)が、ちゃんと読んだ記憶があるのでいうと本陣殺人事件ぐらいかなあ。これも雪の密室で、3本指の男が話を盛り上げるのだけど、身体的な欠損というのがどうもやはり非日常を生み出すポイントなのだと思う。身体的に欠損を抱えながらも懸命に生活されている方もいるので、決して異界であってはいけないのだけども、身近にそういった人がいないと存在を意識することがなくってしまうのは致し方無い気がする。また懸命に生きている、なんてハンディキャップがあるから苦労しているだろうという決めつけ自体が今となっては問題となるのかもしれない。それぞれの個性の一つとして、補い合うことは当然のものと捉えて、接しないといけないのかもしれない。

ディズニー映画などで話題になったが、ポリティカルコレクトネスに配慮した人物設定、例えば白人ばかりが画面に映るということは世の中見つめてみるとある種の偏りがある世界観であるため、これをやめようということであるが、身体的欠損についても同じような流れになるのかもしれない。

オリンピックに対するパラリンピックのように、現在は線引きされている世界も、義手や義足の性能が高まるにつれて、健常者よりも記録が上回るということは十分に起こり得るだろう。

障がい者の描かれ方というのは随分と変わってきた。個人的な印象でいうと、暗いところから日の当たるところで随分でてきたように思う。しかしその明かりが全てを照らしているのかというとそうではないのだろう。光が当たる範囲が広がったからといって、その世界そのものがすべて明るみになったと早とちりしてはいけない。この感覚というは久しく忘れていたような気がするが、久々に夜歩くに触れて思い出された。

帰省もオンラインで、というこの夏の過ごし方として横溝の世界観に浸るというのも一興かもしれない。

 

そんなことを思った。