孤島の鬼

日々の備忘録。文章表現、感情表現の練習の場です。更新はなるべく毎日・・・

自分の無力さとせつなさと

仕事やってる時に、自分、これいけます、いけてますよー!って瞬間あると思います。ハードな仕事こそそう思わないとやってられないし、集中力を高める、気分を高めるためにも有効だと思うので、調子に乗っていることの是非はともかくとして。

 

で、自分が調子に乗っているなー!ってのがわかる一方で、こいつ段取り悪いなー、手間取ってるなあーという人がいます。表面上は普通に接しているつもりですが、どうしてもそういった気持ちっていうのは滲み出てしまうのか、そういう人はあまり自分には寄ってきません。とりあえずこのことの是非はおいておいて、要は仕事を進めていくうえでちんたらちんたら、要領悪く進めているやつがいるということです。

 

自分がそういう人と認定していた人が、ある時なかなか取得の難しい資格を持っていたり、人が羨むような人間関係を持っていたりすることがままあります。それに接した時、私はなんとも言えない感情が沸き起こるのです。

 

その資格が仕事に役立つ、役立たないはともかくとして、目標に向かってゆっくりでも進んでいる人に羨ましいという気持ちが湧いてしまうからだと思います。裏を返せば自分が何を目標に生きていけばいいのか、よくわかってないことが原因だと思います。自分が好きなことにもう少し、一生懸命取り組むことが大事だし、自分が嫌いなことにはあまり手を出さないようにすることが肝要かと思います。

 

そのためには自分が好きなことは何か、嫌いなことは何かをはっきりさせることが重要です。また後日ゆっくり考えてみたいと思います。

 

自分は好きな物、嫌いな物があまりありません。嫌いな物があまりないということはいいことかもしれませんが、好きな物がないとこれもあまり生きないように思います。もう少し自分本位に、周りを気にせず好きなように振舞ってみようと思います。だって周りの人は私に気を使うことなんてあまりないんですもの。

 

 

自分がストレスの溜まること

昨日は久々にイライラした。イライラするとどうしても人に当たりがきつくなってしまうので、なるべくイライラしないようにしたい。というわけで自分がイライラする場状況をいかにまとめる。客観的に眺めることでそういった状況になっても冷静でいるためだ。

 

1、自分の時間の使い方を邪魔されてしまうこと。

2、なんども同じ説明をさせられること、聞かされること。

3、睡眠を邪魔されること。

 

ざっと3つ挙げると以上のとおり。昨日は1、3のコンボだったのでだいぶとイライラした。周りに自分の時間を合わせて、しかもそれが人の時間を浪費することを厭わない人だと付き合うのがしんどい。厭わないのレベルも、まあええか、という感じなので余計腹がたつ。軽んじられている感じがするのだ。

 

ざっとまとめた限り、1に集約できるのではないかと思う。自分の時間を取られて、もしくは思い通りにならないようにされることが、イラつきの大半の原因だ。例えば自分が15分間集中して、これに取り組む、と宣言しているのにクソどうでもいい話をしてくるやつが身近にいたら、皆さんどうですか。それが家族だったら皆さんどうですか。

 

自分はそういった場合、尊重するのに、相手は尊重してくれない。そんなやりとりばかりになると大変不健全でよろしくありません。これを解消するアプローチとして、〜分間、集中する、といっているのですが、平気で話しかけてくる。こういった人の心理は一体なんなんでしょうか。こちらも面と向かって話しかけないで、というのは嫌なので、集中したいという言い方をしているのですが、これでは通じない?

 

ストレスの溜まる原因の2つ目にあげた、何度も同じ話をする、される、のにイラつくのに似ているような気がします。要は理解してもらえないことに腹がたつのです。部屋の外に雪がちらついているとして、それに例えば私が気が付かなかった時。そんな時の可能性としては作業に集中しているのか、カーテンを開けていなかったのか、どちらかだと思います。このどちらにも思い至らない、理解できない人がいるのです。

 

今朝雪が降っていたよ、そうですか、気が付かなかった。え、なんで?という会話が行われます。なんで?ってこと、あります?あ、何かしてたの?とかならわかりますよ。なんで?ってそんな話遅いことあります?

 

書いてて気がつきましたが、この段階を自分がすっ飛ばすから悪いんでしょうね。理解力の低い人に合わせて話ができるようにしてあげてないといけないということが、生きていく上で大切だと思わせる瞬間はよくあります。今回のケースもそういうことだったのでしょう。

 

例えば一人でやればいいこと、協力してやるべきこと、があります。自分の判断基準ではそれは効率が良いか、悪いかによって決めるべきことだと思うのですが、コミュニケーションを二人でやることで促進したい、というやや見当違いな理念がここにまぎれるとぶれます。コミュニケーションを促進する機会は別で設けるべきです。

 

以上の理解でいるのですが、理解あまりされません。自分の伝え方など、未熟な部分があるとは思いますが、イライラしますね。

 

といったところで今日はこんなところでおしまい。

酒飲みすぎの件(自戒を込めて)

酒が好きだ。飲めることなら毎日飲みたいし、飲んでも仕事や家庭に影響がないなら毎日飲みたい。ただ自分でもこれはやばいな、と思うレベルで飲んでしまうことがあって、その時は自己嫌悪に陥って、もしくは二日酔いという物理的な、身体的な反応で酒と一定の距離を置くことになる。が、しばらくするとそれも忘れてまた飲んでしまう。多分20歳ぐらいからそんな感じで酒と付き合ってきた。15年ぐらい飲んできた結果として、酒は自分にとってはプラスになっていないのではないか、という面が多いと気がついたので今回の記事にした。

 

酒が自分に与えるメリット、デメリットを整理したい。

メリット

料理が美味しくなる。コミュニケーションの最初の壁が気にならなくなる。

 

デメリット

翌日頭が回らず使い物にならなくなる。気が大きくなって無用なトラブルを招く。人間関係を壊す。二日酔いやトラブルの間の時間が無駄になる。

 

明らかにデメリットの方が大きい。完全に酒に飲まれてしまっている。

結果としてやめるに越したことはないと思うが、これまでガバガバ飲んでた人間が、急に飲まなくなると、心配されるのではないか、という気がするが、実際のところ、今時酒、やめたんです、といったところで周りも「ああ、そうですか。」としか思わないよなあ・・・ある意味、酒の場で酒を飲むのは俺なりのサービス精神のつもりだったんだけど、結局悪酔いしたりで周りに迷惑かけるぐらいなら、飲むなって話だし。

酒がある程度強い、という変な自負があるのも飲みすぎの原因だ。今後は飲む量を決めて、適量を飲むことを心がけよう。大前提として飲む必要がないようにしたい。

 

飲まないためには炭酸?ある程度ビールににた味のものを、例えばオールフリーとかが良いのかもしれない。

 

まとめると、酒は原則飲まない。飲む場合もビール1、2杯ですます。平日自分の楽しみとして飲む場合は、炭酸水やオールフリーなどのアルコールが入っていない飲み物で大体する。

この点を守ると生活の質、睡眠の質がぐっと高まっていくのではないだろうか。飲みすぎて2、3日は脳みそしんでるもんな・・・

脳みそ活性化

先日からとにかく書いている。頭に浮かんだ言葉をいったん文字に落として、客観的にみると言葉足らずな部分が見えてくる。これを補足していくことでいわゆる論理的な文章になるのだろうなという、予感がある。

そんな効果を期待して始めたブログだが、タイピングの観点からも自分のストレス発散的な観点からも非常に良さそうに思える。前回更新が止まってしまったのはネガティブなことを吐き出してしまっていたからだろう。ストレス管理がメインになっていたように思う。

さて、ブログを書くことをメインにブログを始めたが、ここにきて多少の余裕が出てきたのか、読むことにも興味がわいてきた。書籍から情報を得ることがメインの自分だが、今の時代ブログからも得てもいいんじゃない?とようやく今どきな発想になってきたのだ。しかし、これまでそれをしなかった理由として、基本的に素人が書いた記事であるため、感想ベース、エビデンスに乏しいのではないか、ということと、使えそうな記事があっても引用がしにくい。それは前者の理由からだ。それソースどこ?という質問に対して、答えられない。いや、答えればよいのだろうが、はてなブログです。とはなかなか言えない。ましてや上司ははてなブログ?それはなんぞや、みたいなことになってしまうともう面倒くさすぎて死んでしまう。そういったことで書籍からの情報をもとに理屈を組み立てたりするのだが、これはこれで誰が書いたのか、ということが問題になりやすい。もっとみんな中身を見てよ!誰が書いたかなんて正直どうでもいい!と思ってしまう。

その昔、中崎タツヤのじみへんという漫画の中で、今の政治を熱く語る若者が、もう一人の若者に、みんなっていうけど、それ誰が言ってるの?と突っ込まれ、思わず面倒くさくなってしまい、近所のパン屋のおやじだよ!と返してしまい、お前は近所のパン屋のおやじが言っていることにそんなに真剣になってるのか、と気をそがれてしまう話があって今でもよく覚えている。

自分は語られるべき内容こそ重視すべき、という考えの持ち主だが、世間ではそれよりも誰が語ったかが重要と思う人が実に多い。

人がどう考えようが知ったことではないが、ではなぜ自分は内容のほうが大事だと思うのか。おそらく漫画や小説、作られた物語が好きだからだと思う。

というのも、物語を語るうえで、作者と作品を混同してはいけない、切り離して考えなければならない、基本は、という考えを持ているからだ。

もちろん作者の意向が作品に反映されている物語は数多く存在していると思うが、例えば推理小説の作者は人殺しをしたくてしたくてたまらない、という人ではない。そこでは論理的な美しさを伝えるために殺人をモチーフにしているのかもしれないし、本当に伝えたいことはなんなのか、考えてみることが大事だ。語る人が悪意を持った瞬間、好きなようにもてあそばれてしまう、そんな恐怖感を自分は持っているのかもしれない。

 

ほかの人のブログを見ていると、うまく段組み、見出しを付けているなあ。どうやったらいいんだろう。ちょっとずつ調べてみるか。

文章を書くにあたって。

 まだうだうだ言いながら文章を書きたいと思っている。自分はなぜか昔から小説が書けると思っていた。小説を読むことが好きだったから、自然と物語を作ることに興味を持っていたのだと思う。まじめだった自分はいきなり良いものを書きたいと思った。よく聞くことだが、いきなり完成度の高いものを作ろうとすると、えてして失敗しがちである。僕もそのうちの一人となった。というか、書き始めることすらできなかった。書きたいことが特にないのだ。特になくても生み出すことができるのが本当の才能だと思う。今はほぼ自動筆記に近い形で脳みそからでてくる言葉を書き連ねていっているが、きっとこの先に自由に文章をかける日が来るのだろうと思っている。なぜなら文章を上手に書けるようになるにはとにかく書きまくるしかないから、って誰かも言っていたし。とりあえず毎日1200字程度は書いていきたい。

 頭に浮かんだ言葉というのは、ある種誰かに向かって話しているのと同じで、これを続けると日常会話もきっと上手になるはず。

 そうそう、いきなり完成度の高い小説を書こうとして、しかも書きたいものがないのに小説で表現したいと思った理由はもう一つある。実は自分、それなりに話すことについては自信があったのだ。小中学生のころ、自分はクラスではそこそこ面白い人間であると自負があった。周りにいた友人たちより、狭い世界ではあるものの読書はしていたし、話せば人を笑わせていたということもあって、自分には何となく物語を作る才能があるのではないかと思っていた。でもそれは誤りだった。

 自分が頭の中で作る物語も、話す言葉もすべて誰かの借り物、もっと端的に言うとパクリだったのだ。昨日見たテレビで芸人が言ってたネタをそのまま話す、漫画で読んだネタをそのまま話す。学校ではそれで笑いがとれるし、別に誰も元ネタなんて気にしないし。深夜ラジオで聞いたネタをそのまま自分のネタとして話したこともあったように思う。今考えると本当に恥ずべきことだ。

 大学生活と、その後のニート時代を通じて、人ととのかかわりを失った僕は、一時期人との会話をほとんど行わない時期があった。一日のうち声を出すのがコンビニに弁当を買いに行く時ぐらい。この生活を1年も続けると、あっという間に脳の回転が遅くなる。小中とクラスで爆笑王(笑)だった私は、実は自分は頭の回転も速いのだ、という妙な自信もあったのです。恥ずかしながら。

 いや、もともとそんなに早くなかったんじゃないの?といぶかしがる人もいると思う。でもこれ、家族にも心配されるレベルで言葉に詰まったりするので、自分の思い込みではないと思っている。脳梗塞などの気も、そういった状況から抜け出して10年ぐらいたった今、特に健康被害も出ることなく健康に生活していることから、ないと思っている。

 ということで本日のまとめは文章をうまくなるための第一のステップとして、毎日書く、書きなぐる、頭に浮かんだ言葉をどんどん文章としてまとめていく、まずはこれが重要ではないかと思う次第です。

しかし、ただただ文章を垂れ流すにしても制限時間を設けるとより効果が高まると思っている。今回の記事も途中、PCの調子が悪く、再起動がかかったり、タブがクラッシュしたりの被害に見舞われながらも15分程度で書いている。自分の理想では2000文字を10分で書けるようになりたいと思っている。それってタイピングスキルの上達もポイントになってくると思うが、まずは言葉がどんどんと出てくるように、そのための訓練として当ブログを使っていこうと思っている。

明日もいい日になりますように。

 

低文章作成能力者の学び。文章を上手く書くために。

今日は企画書作成業務をシコシコと行った。自分の頭の中では壮大なストーリーが出来上がっているのだが、どうも紙面に落とし込むと迫力がない。そんなものか?と思いながら眺めるとどうも面白くなさそうな企画だし、そもそも何を言っているのか、論理的に破綻を起こしているのではないか、と思い始めてしまうともうダメで、どんどんどんどん作成が遅くなる。その一方で周りの人たちはどんどんと作業を進めていく。ああ、俺ってばやっぱり企画業務に向いていないのね・・・と思いながら、今更ながら文章を作成するコツのようなものを勉強しようと思っている。

テキストはその昔に買ったばかりで本棚で埃をかぶっている「外資系コンサルのビジネス文書作成術」を元本として、文書作成技術を高めていきたい。そういう意味ではこのブログの更新も文書作成能力向上のための一環なのだが、どうも効果が表れているように思えない。信じて進めるしかないのだろうが・・・

ビジネスマンとして文書作成能力って結構基礎的なスキルだと思うのだが、省みると自分はそれをなかなか使う機会がないまま結構なおっさんになってきてしまった。いわゆる中堅どころに片足を突っ込み始めている。若手と中堅な微妙な時期に人な花咲かすかと気軽に社内公募のコンペに業務改善の企画を持ち込んだことが不幸の始まりだった。喋りの方は、皆さん心優しい方が多いので自分が一生懸命、脂汗を流しながら話すと、熱意だけは伝わるようで、「ようしわかった!みなまで言うな!君がそんなに熱心ということは、君に任せようじゃないか!」とありがたいことに思ってくれるみたいで、なんかぬるっと通じちゃうんだけど、これ全然論理的な展開じゃないし、そのおかげで今ひいひい言うてるしで、大変困る。自分で提案しておいてなんだが、ちゃんと中身見なさいよ、あんた!と言いたくなる。

あらためて自分の文書作成能力の低さを認識するとともに、周りの人の能力の高さがようやくわかってきて、恥ずかしい次第。特に今時の若手なんかみんな文章が上手い。やっぱりSNS世代だからかしら。

自分なんかはメール一本書くにしても1本下手したら10分とか平気でかかっちゃうときがある。なんかぼーっとしちゃうし、文章を何回も見直すので、その分時間がかかってしまう。メールをだーっと打って、見返すことなくエンター、ターン!ていう人もいると思うが、自分は怖くてそれはできない。石橋を叩いちゃうせいで作成が遅くなってしまう。基本的にテンプレがないと、文章も作れない。メールでコミュニケーションとかすごくハードルが高い。

さて少々雑談に走ってしまったが、今日学んだ文章作成の技法は5w1h、何を今更というかもしれませんが、いつ、どこで、誰が、何を、どうした、を抑えながら、なぜ(なんのために)、(具体的に)どうした、をしっかり説明することが重要ということを学んだ。特に後半のwhy、howは、そのボリュームをしっかり設けることで、読み手にわかりやすい文章になるとのこと。当然そんなことはわかっとるわい、という話かもしれませんが、残念ながら筆者は文章作成能力が低いのでした。基本的なところからあらためて抑えていきたいと思います。

近所の図書館の話

近所に図書館がある。自転車で10分程度の距離にあるので、重宝している。コーヒーの自販機や規模感、雰囲気がマッチしていてすごく過ごしやすい。自習室も申請のうえ使える部屋があるのだが、申請が必要な分、ガチで自習したい人が使うため、騒がしい人が紛れ込む可能性がとても低くて、集中できる。

そんな快適な図書館だが、実はもう一点気に入っているところがある。その図書館には、町の吹奏楽団が練習に使える音楽練習室が併設されていて、吹奏楽のメロディが良い感じに漏れ聞こえてくるのだ。その漏れ聞こえ具合が実にちょうど良くて、意識しないと聞こえない、耳障りにならないレベルなのだ。

またこれは練習している楽団にもよるのだろうが、時々ゲーム音楽のオーケストラをチョイスして練習していることもある。ドラクエファイナルファンタジーのテーマソングのメドレーが流れてきた時はテンションあがる。

近所に美味いパン屋もあって、朝早く出れる時はコーヒーとそこのパンを買ってもぐもぐしてから向かうこともある。自分の中で大切な時間だ。

さて、今日もそんなお気に入りの図書館に行ってきたのだが、今日は調べ物。最近職場で業務改善の機運が高まっているようで、提案チームの立ち上げの話が出てきている。自分自身はどこまでそれに貢献できるかわからないので、提案するかどうかはともかく、現状ではジリ貧、すくなくとも今の海外勢の勢いや、日本の行き詰まり感を鑑みるに現状のままではいけないと思っている。

BPR、BPMに関して勉強。すでに業務改善、とか言ってるレベルではなく、システムを含めて抜本的に改革を行わないといけないという認識だ。しかし、システムを導入するには予算が必要・・・となれば、職場全体でシステム導入の機運を高めていかないといけない。そういう意味では派手な業務改善や業務改革に向けた提案チームとして手を挙げるのではなく、草の根運動的に少しずつ仲間を増やしていって、導入の機運を高めていくしかない。そのためにはそのシステムが既存の業務にどのような良い影響を与えるのか。現場担当者がどういった恩恵を受けられるのか、これを明確にする必要があると思っている。

上記のビジョンとプロセスを共有するためのアウトプットが必要だ。