孤島の鬼

日々の備忘録。文章表現、感情表現の練習の場です。更新はなるべく毎日・・・

趣味を深く学ぶ

将棋の話。将棋を趣味として初めて半年ぐらいたった。将棋ウォーズをやっているのだが、一日3局の対局で4級までするするっと上がったのだが、ここからが停滞。4間飛車で戦っているのだが、正直どうやって戦っていっていいのか全然わからない。戦型なんかもいくつか覚えたものの、で、なんなの、という感じ。詰将棋をしこしこと解いたりしているのだが。。。ウォーズの解析なんかを見ると中盤に課題、とのこと。次の一手問題をやるといい、とのことだが、次の一手もなんか覚えられないんよね。でだらだらと課題を持たず対局をして、負けてストレスをためる日々を送っている。指摘通り次の一手で手筋をどんどん覚えていくのと、5手詰めの詰将棋、あとは嫌いにならないようにyoutubeで将棋関係の動画を眺めるようにしている。最近は正直負けがこんでいて、買ってもすっきりしない、イライラすることが多くて逆にストレスになっていたから、しばらくは対局を離れて、パズル的に楽しむのも一つかもしれない。どういった手が得で、どういった手が損で、みたいな感覚がいまいちつかめてないんよなあ。もちろん、駒損は理解しているつもりなんだけど、ある程度攻めに転じるときはリスクをしょわないといけないもんじゃないのかな。。。このあたり、うまい攻め方というのがわかっていないため、無駄死にしているように思われる。

四間飛車なので藤井猛氏の四間飛車上達法なんか買って読んだんだけど、全然理解できない。そもそもの将棋の考え方みたいな基礎部分ができていないのかなあ。帯にはまれにみる親切さ!なんてうたい文句が書かれているんだけど、ほぼほぼ理解できない。銀の位置によって4種類の戦い方がある、ということはわかるんだけど、相手の出方を見て考えないといけなくて、でもその相手の出方、意図しているところみたいなことがいまいち理解できないからそもそもどうしていいのかわからない、というところぐるぐる回ってしまっているような気がする。

理解できない理論書を我慢して読むのも一つだが、実際に将棋盤を動かしながらじゃないと頭にも入ってこないしなあ。そうなると家にあるのはマグネット将棋って小さいサイズなのでだしてくるのも、並べるのもおっくう。。。将棋趣味といいながらまだまだですね。

まあほぼ一生の趣味にできそうな遊びではあるので長い人生ぼちぼちと楽しんでいきたいと思う。

自分の時間が取れないストレス。

自分の時間が取れないと休憩もできないし、成長の時間も取れないしでイライラが募る。この親としては当然、睡眠時間でも削って子に、そして嫁に奉仕せよ、ということかもしれないが、嫁は遅くまで起きて、俺は子供達と遊ぶために早起きして散髪に行ってというふうに自分の時間から切り売りして過ごしている。嫁はあくまでマイペースなので非常に腹がたつ。なんなんだろうか。この当然感。いや、結婚前に当然に家事分担などの話をしていたのだが、その時は俺はまったくしない、できないという話をしていた。だから期待するなと。それが納得できるのであれば結婚しよう、という話だったのだが、なし崩しになっている。なし崩しにできる、と思われているところがまた腹がたつ。俺は人から舐められるのが嫌なのだ。そして、世の中でトップクラスに俺のことを舐めてくるのが最も近くにいる嫁なのだ。かるぐちを叩くのも親しい証拠だから、別に嫁以外のひとに過度にイラつくこともないのだが、嫁に関してはしつこいし、なんかまあ言い方がムカつくで気分が悪くなることがほとんど。外出なんて正直今の時期したくないのに人が多いところにいこうと積極的に言ってくるし、感覚が違うなあ。。。という感じ。

この頃は嫁をどうこうしようと思っても全く無駄ということがわかったので、距離をとる、相手の思い通りにならないようにするなど、注意を払うしかない。仕事が比較的少ない、時間に余裕がある時期なんかは笑顔で対応することもできるが、年末に向けて忙しい時期、疲れが出てくる時期にもかかわらず嫁はマイペースでそれについても腹がたつ。家のことはしばらく帰りも遅くなるのでよろしくおねがします、と伝えても全然ピンと来ていないようだ。部屋の中はぐっちゃぐちゃで片付けをしている形跡もほぼない。油断したら子供の相手ばかりをやるか、洗濯をするか、実家に行っているか。平日は人手が足りないということであれば、週末俺に預けて掃除もすればいいのに、それをしようとしない。ならば、とこちらでやろうとすると、こっちがやったことに対して文句は偉そうに言ってくる。じゃあお前がやれよ、というと私は子の面倒を見て忙しいのだ、どうしようもできないのだ、と逆ギレしてくる。時間を見つけてやるべきだし、洗濯なんか今時干すだけなのに、干し方にも妙なこだわりがあってタッチさせない。それで忙しい、という感じを出してくるのでこちらももうどうしようもない。新居にすれば片付けをする、という言葉を信じて2年ぐらい我慢してきたが、相変わらず片付け、掃除は下手で通路に物を置いたりでイライラさせられる。緊急避難的にものを置いておくことはままあることだと思うが、置きっ放しにするなよ。自分だって通る道なので100%気がついているはずなのに、何回も注意しても直さない。こういった微妙に腹がたつことを、毎回注意しているとだんだんと大きな怒りになってくる。都度注意して、それでも直さない人に対してはどのように接すればいいのだろうか。今のところの答えはなるべく関わりにならない。自分のことだけをしっかりやっていく、というものだが、夫婦の形として、それってどうなのかなあ。あまり納得できている答えではない。そういった思いを持ちながら生活するのは、またストレスになっている。ムカつく毎日だ。

今のままの自分で十分。

足るを知るということが重要である。何不自由ない暮らし、生活をしているのにもかかわらず、たるを知らないことでより多くのものを求めて、それにより不幸に陥ることがある。自分がどれほどの成功を求めるかだが、自分の全てを投資しすぎてはいけない。博打で財を成すのと同じである。それで成功した人がいない、とは言わないが誰だってそのやり方をおすすめしはしないだろう。足元を磐石に固めて、行動するに勝るものはない。時々自分を追い込まないと力が出ない、という人もいるが、退路をたつということは昔から背水の陣という故事成語があるぐらい有名な話ではあるものの、短期決戦向きである。この場合必ず期限を設けなければならない。長くても1年だろう、自らの健康や資材を全てなげうって勝負できる期間というのは。それまでにある程度の結果が出なければ打ち切ることが重要である。この場合、結果を具体化しておく必要がある。人はサンクスコストに縛られるものである。(すでに投じた投資を回収したがる傾向のこと。引き続き続けたところで負債の返済が見込めないことがわかっているものの、それまでに投じたコストをもったいないと感じてしまって、撤退ラインを誤ってしまう)。引き際が重要である。

物語として全てをなげうって一点投資、それで勝つのは大変気持ちいいものだ。しかし人はその勝負に勝ち続けることはできないと誰しもがわかっている。物語で言えばそういった勝負は一世一代、クライマックスに持ってこられるものだ。これは勝負所がわかっているということ。常に全戦全勝は物理的に難しい。何に勝って何に負けるか。戦略的に考えなければならない。自分が何に勝負するのか、見極めが重要であるということである。これが見極められなければ、勝ったところでリターンは少なく、またそこにかけたコストが高すぎて跡が続かない、ということが出てくる。常にコストを意識して、最小のリスクで勝つことを求める。これが敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ということだと思う。常に全力でぶつかるのであれば敵を知る必要はない。1戦1戦自らの全力を持って当たればいいだけだ。しかしそれで100戦をこなせるか、という問題が出てくる。このため、相手を知る必要がある。今日はこの辺りまで。

自分をコントロールしているという感覚

自分で人生をコントロールしているという感覚を持つことが非常に重要である。成長に関する捉え方もそうで、才能が人生における成功を決める、と思っている人は成長が遅い。成長しないとは言わないが、成長が遅くなってしまうのだ。成長マインドになるためには自分が努力を積み重ねることで変化が必ず起きるものだと考えてる必要がある。変化でいいのだ。行動によって起きた変化をしっかりと観察して、プラスのものがあれば取り入れるように動く。マイナスのものがあれば今度はそれが起きないように行動する。それだけでいい。これを意識するだけで成長の速度はずいぶん変わってくるだろう。加えて、さらに成長したいということであれば、自分が関係する仕事について、責任は全て自分にあると考えると良い。もちろん上司や、部下が下手こく時もあるだろう。そんな時でもそれは間違いが起きやすい事項なんだな、事前にそれを回避する手段はなかったのか、声をかけておけばよかったのではないか、など、もう一度同じような状況になった時にどうすれば回避できるのか、これを蓄積していくことが重要である。

さて冒頭に述べた自分の人生をコントロールする感覚を身につけると、成長速度も上がるという話をしたが、そもそもそれでは自分をコントロールする感覚はどのように身につけて行けば良いのだろうか。それは小さいながらも日々目的をもって、その目的、チャレンジをクリアしていくことである。この成功体験の積み重ねが自分の実現能力を高めていくのだ。そういう意味では、早起きは成功するのであれば、とても有効であり、自己効用を高めるとともに、物理的な時間も捻出している。これを成功させるためには早寝をしなくてはならない。早寝をするためには仕事を効率的に終わらせなければならない。仕事を効率的に終わらせるためには食事を効率的に取らなくてはならない、休憩を上手に活用しなければならない、集中力をキープする方法、高めていく方法を実践していかなければならいと、生産性を高めることに関連する、あらゆることへ影響が及んでいく。たくさんあるので大変そうに思えるが、一つずつ、着実に進めていけば良い。

人生のあらゆるチャレンジは実験である。失敗は成功するための材料集めであり、失敗を積み重ねた先にしか成功はない。時に息苦しいほどのチャレンジが、人生においては無慈悲にも与えられる瞬間がくる。個人的には必ず乗り越えられる、乗り越えられない課題、問題は決して与えられない、一人で手にあまる時は誰かと協力をするチャンスだ、など、前向きにとらえて実践する機会が与えられたのだと捉えるようにしているが、日々、小さなチャレンジを繰り返すことで、大きなチャレンジの機会が訪れた時によーしやってやろうじゃないか!ととらえられるようになると思う。チャンス、ピンチは突然やってくる。日々どんな課題が目の前に現れても対応できるように自己研鑽が必要だ。

デジタル化の流れの中で

人間はどうあるべきか。仕事で言うならばどういったスキルを身に着けるべきか。どうするべき、という書き方が多いので、ややトーンを落として、どうしたほうが良いのか、どうすることが考えられるのか、という視点で考えていきたいと思う。

コミュニケーション能力、努力できる力、情報収集能力、やりきる力、時間をうまく活用する力、調整する力などいろいろあると思うし、どれも必要か不要か、という観点から言うと、すべて必要、合ったほうが良い能力だと思う。ではこれをどの能力から身に着けていけば効率よく実力を上げていくことができるのか。

コミュニケーション能力はストレスを減らして健康的に生きていくうえでも重要である。なぜなら人の抱える問題の99%は対人関係から発生しているからだ。対人関係を円滑に行うことでストレスの99%を改善できると、言い換えることができるだろう。ここでのポイントはたった一つ。他人に興味を持ちすぎないこと。すべての人と仲良く、という教育を受けて我々は育ってきた。その弊害もあって、社会に出てから、もしくはその前の段階でも、どうしても気の合わない人がいるということに対して、悪いのは自分だ、という思考に陥りやすい。こうすると自分を責めることにつながるし、自己肯定感が下がってしまう。その人が悪い、自分が悪いということではなく、単純に気が合わない、かみ合わせが悪い、マッチしないということは、動物である限り絶対的にあり得る。それは人間であっても同じである。それを無理に組み合わせようとするから問題が発生する。良好な人間関係とはなにも親友の数をいくつ作れるかということではない。自分にストレスを与えない人間関係をいかに構築できるかが問題なのである。

ではそのストレスを与えない人間関係を作るためにどういった努力ができるだろうか。それは他人をスルーするスキルを身に着けることである。自分は自分、人は人、これをきっちりと切り分けるのである。他人の課題を自分の課題と認識してはいけないし、自分の課題すら人にお願いすることで自分の時間を増やすことができる。世の中にはクリエイティブな仕事をしたい人がいる一方で、ルーチンを黙々とこなしていく、ただそれだけをやりたいという人もいる。どちらが偉いというわけではないが、世の流れからすると、後者はAIなどの科学技術によって代替される可能性がか高いが、それを好む人を否定するわけではない。そういった人のためにもルーチンはどんどん人に振る、AI等に代替していくという視点を持とう。

といったところで今日はお開き。

なりたいじぶんになる!

ではどんな自分になりたいのか。自分はどうありたいのか。今日はそんなことを書き連ねてみたい。年収でいうと1000まんえんとか稼いでいる。仕事をでいうと部長になる。これ、うちの職場では残念ながら両立しないので、副業が必要。ということは副業を開始する必要がある。そこから逆算する必要あり。いつの時点で収入一千万円か。45歳?10年近くあるのでなんとかなるだろうと思っている。

では次、健康面。健康面は今充実している。筋トレでもう少し腹筋、腹回りを鍛えたい。体幹レーニングを中心に姿勢としなやかさ、疲れにくい体作りを目指そう。そのためには体力的な部分ももちろん、精神的な部分も求められる。自分のコントロール能力、コントロールをしている感じが大事だ。これを高めるためには瞑想と、小さな目標をコツコツとクリアしていく感覚を高めること。散歩と週1回程度の全力疾走など、体をしっかり動かすことが大事。定期的な運動が精神を鍛えるし、安定させる。運動こそが頭も良くするし、全てを解決するように思う。

次、人間関係。嫌な人とは無理に付き合わない。そういった人と会っても、心を動かされない。相手にしない。時間の無駄。でも付き合う人は増やしていきたい。いい人を周りに集まるようにしたい。そのためには自分がいい人にならないといけない。そのためにはどうするか、また考えていこう。自分よりも他人、尽くして尽くしまくる、その上で見返りを求めないのが良いのだと思う。ベストはプレゼントを送る、贈り物今より多くしようと思う。

趣味的なところ。アコースティックギターを趣味にして、ライブができるようにしたい。エレキはながながやってきたが、どうもしょうに合わない。将棋はアマチュア初段を目標にコツコツとお勉強。これも期間を定めて取り組んでいきたい。将棋ウォーズの4級で止まってしまっているので、ここの壁を破るために、どうにかしないとなあ。とりあえず、今日のところはこのあたりで。

世の中には文章能力の高い人が多い

ブログ界隈だと、もちろん表現として文章が得意な人が多いのは当然なんだけど、(そうじゃない人は今どきyoutubeに流れたりするだろうから)にしても多すぎない?自分は学生時代から文章にそれなりに自信を持っていたのだけど、今の人、かどうかはわかりませんが、皆さん文章がうまくて驚きます。仕事で文章を作成することもあるし、立場的に添削することもあるので、そこそこ、標準並みにはあると思うのですが、僕が眺めている人たちはずいぶんと上手な人が多い。目につくのはその業界のトップクラスの人ばかりだからかもしれないけど。あと、書き上げるスピードについては、逆に自信がなくて、このブログはできる限り毎日書きたいと思っているので、負担にならないようにスピード重視、推敲はあまり考えずに書いているのだけど、それが良くないのかなあ。とりあえずスピードアップを目標にしていたので800字から1200字をだーっと打てることを目的に始めたのだけど、そろそろそれを変えてもいいのかもしれない。文章量は短く、構成を組み立てることを中心にした箱書きへとシフトさせていくことが重要かも。

そんなことを今日、企画書を一本書いて思った次第。若いころに比べると格段に作業スピードは上がっていると思うけど、その分、自分の粗にも気が付きやすくなっているから、書き上げた満足感よりも、下手だなあ、と思う割合も強くなってきているので、トータルではなんかマイナスなような気がする。日々練習で、徐々にうまくなっていくことを期待して継続し続けるしかない。やみくもに文章を打ってもあまり意味がないという人もいるかもしれないが、頭に思い浮かんだ思考をそのまま文章にできるというのはなかなか便利で、よく見栄え的にどこまで書いていたほうが、ボリューム的な見栄えってあるじゃないですか。見開き2ページで言うと2ページ目がスカスカよりも、中段以降まで何か書いてあるほうが、ばえるじゃないすか。そういう時に便利です。どんな時や。そんなこんなで今日はお開き。