孤島の鬼

日々の備忘録。文章表現、感情表現の練習の場です。更新はなるべく毎日・・・

【感想】アウトプット大全【書籍】

樺沢紫苑作のアウトプット大全を読んだ。作者は精神科医でありながら、作家でもあり、いわゆるビジネス書というか時短術についての著作が多数ある方。限られた時間の中でいかにアウトプットするかについて、一過言ある方。

自分も最近仕事でなかなか自分が思った通りに動けてない、という状況もあって、その原因はアウトプットする訓練がすくなんじゃないかと思い当たることがあったので、この本を読むことにした。

基本的な構成としては、アウトプットにあたってのルール全般、またアウトプットを大きく、話すこと、書くこと、行動すること(話すこと、書くこと以外?)といった3つに大別して、それらを行う際のコツを記載している。話すことで言えば、人に伝えることが重要、コミュニケーションは1回の長さよりも、単純な回数、書くことについては、上手な文章を書くためにはとにかく、たくさん読書をして、たくさん書くことに限るといったこと、そのためのコツとしては、時間を決めてから書くこと、構成を先に決めてから書くことの2つがあげられていた。このブログに関しても書くときにはこれを採用している。行動の部分については、ほぼ心構え的なものが多い。睡眠の重要性など、すこしずれているかなと思うこともあるが、大全ということもあって、定期的に見直すことで効果がありそうなことが書かれている。

アウトプットがどれくらいのレベルでできればよいのか、ということについては、人に教えられるレベル、というか、人に教えることで逆に身に付くという発想。多くの人はインプット過多で、アウトプットが少ない。またこれは直接的には書いていないがその順番的にも、ある程度インプットができたら思い切ってアウトプットしていく方が効率がよい、という観点で描かれている。

具体的なアウトプット力を高める方法として、日記、健康についての記録、読書感想文、ブログなどSNSへの発信など。なるべく人目に触れることで緊張感を持って書き続けることで、アウトプット能力が向上していくようだ。

ブログや読書感想文はあまりかけてはいないが、定期的に続けている。日記についても久しぶりに再会してみようと思う。なお、日記をつけるときにはポジティブな観点で記録するとなおのこと、効果があるらしい。

ひとまずこれらのことについては毎日やって行こうと思う。

阿修羅のごとく

アマゾンプライム阿修羅のごとく視聴。最近映画見るならアマゾンプライムですね。どこぞやのビジネス雑誌で見ましたが、ネットフリックス、アマゾンプライム、HULUなんかのネット動画サービスで見る人が増えてきているから、レンタルビデオ屋がどんどんつぶれていっているらしい。街で唯一残ったレンタルビデオショップは映画好きの交流の場として機能するように店長も留意しているようだ。新しいプラットフォームができたことによって、レンタルビデオ屋は街の映画好きを集めるプラットフォーム機能を強化せざるを得ないという状況になっているようだ。要はプラットフォーム最強ということらしい。

フェイスブック、アマゾン、グーグル、アップルのような大企業で様々なサービスのプラットフォームになるような企業を総称し、その頭文字から、FAGAと言うようだ。関連する書籍も販売しているのでまた機会があれば見ていこうと思う。

さて脱線が長引いたが、阿修羅のごとく向田邦子原作。個人的には爆笑問題カーボーイってTBSの深夜ラジオで太田が向田邦子について話しているの聞いて、面白そうな作家さんだなあと思ったのが、その名前を聞くきっかけだった。映画の出来はともかく、セリフ回しが非常にいい。中村獅童のキャラクターが浮いてしまっていたり、深田恭子夫婦のところがなんか浮いていたりだけど、どの世代の立場で見るかによって変わると思う。40代50代になって、4女のところの夫婦を見ると理解できないものとして感じるんだろうか。

冒頭のシーン、ひび割れた鏡餅を見て、「お母さんのかかとみたい」「かかとを見ればその人が女性として潤っているかわかる」というシーンは映画全体の雰囲気や状況説明をさらりとしていて、何とも軽妙だ。

3女が姉妹に告げた父の不倫については、当の父親のキャラクターが非常によくって思わず不問にしたくなるし、周りの反応も、なんというか時代を感じるもので、面白かった。

昭和54年という、昭和だからの悲喜こもごもだよね。全体的にコメディテイストでまとめられているので、単純に悲しいというわけじゃないが、喜劇の中にある悲劇だからこそ、きわだっているように感じた。

 

今日は朝から京都観光へ。雨が降らなければよいのだが。

県庁の星

アマゾンプライムで県庁の星視聴。

織田裕二主演。柴崎コウがヒロイン。県庁のエースである織田裕二が民間企業との人事交流で地元のスーパーへ出向。その頃県庁では200億円規模のプロジェクトを進める予定で動いていたが、箱モノ行政との批判を避けるために、民間企業のノウハウを勉強するため、という名目で始まった研修。つまりこの研修を乗り切れば念願の200億円のプロジェクトを進めることができるということで、張り切る織田裕二。恋人も応援してくれている。

スーパーに着任した当初は県庁でのやり方と地元スーパーの既存のやり方でそりが合わず、衝突を繰り返す・・・とまあ民間企業と公務員あるあるみたいな話。ここで描かれる織田裕二は仕事はできるかもしれないが冷徹で、しかもその仕事のやり方も民間企業では通用しない、といったもの。でぶつかりつつもお互い良い面があるよね、初めは成果の出なかった織田裕二、スーパーでは県庁さんと呼ばれる、県庁さんもだんだん成果が出るようになって、みんなに好かれるようになってさよなら。

でもその間県庁の方では200億円のプロジェクトが進んでいて、自分が戻るころにはポストもない状態。それでも、スーパーでの経験を活かして、生活市民課へ。

ストーリーは全般的にベタ。それでまた2018年現在、織田裕二が、その存在自体が古臭くなっているので、なかなかきついものがあるんだけど、ベタだけに素直にみるとなかなか泣ける展開で驚いた。

ラストの予算削減シーンはコストの精査で200億円を80億円で実施できるという案をぶっちゃける織田裕二は超かっこいい。立場は違うが、今自分の所属している組織と同じような状況で自分を貫く県庁さん、えらいなあ。。。

気が付くのが遅くてもそこから始めればいい、というセリフから、民間の企業で学んだことを語るシーンはすごく良い。素直に謝り、素直に教わり、改革のためには仲間がいる・・・自分には足らんことばかり、と思いつつ、今日はこのあたりで。

あまりに公務員的な

勤務している組織に金がない。

金がないのはまあいい。必要な額を投資していると考えれば、借金をしてでも、成果を求めることも十分に考えられることだ。それで、その取り組みは一体どういった成果が期待されるのですか?と確認すると、いえ、私は上から言われただけですので、そんなことは私のあずかり知らぬことです、と言った回答が返ってくる。担当がバカってことはうちの組織に限らず、まああることなので、そんなことで腹は立てない。

ではその上の者に、これはどういった成果を狙ったもので、その効果を得るためには費用対効果の点で、効率的ですか?と問うと、いや、我々の求めるものはそういう成果では測定できない、もっと崇高なものであるとのこと。ははあ、なるほど、ではその取り組みが成功しているか、成功していないかはどのように計測するのですか?と問うとだんまり。

前々からわかっていたことだが、うちの組織にKPIという概念が浸透していない。目標があるにはあるが、外圧に負けて泣く泣く設定したような、後ろ向きなものだ。うちの組織を10年後にはどういう組織にして、20年後はどうするのか、そういったビジョンすらない。現状維持でいいのではないか、最終的には国から何らかの支援を受けられるのではないか、という甘い考えがおそらく蔓延しているからだろう。

おっさん連中(ここ10年で退職する人たち)は責任あるにも関わらず、その方針を立てない。なぜなら自分には関係ないことだからだ。その時が来たときには自分はもういない。しかし、我々、いわゆる若手は違う。今後20年以上を組織で働き続ける。

財務的にも危険水域にあると思うが、まだまだ構成員に危機感が足りない。決めるべき上司は、自らの退職に向けて、のんびりしている。若手はやる気を失うどころか、働かないおっさん連中の分まで労働し、未来に期待しようにも新規採用は凍結、なんて話も出てきている。

いわゆる大企業病の典型例だと思う。そんななか、自らはどうするか、真剣に考える必要があるように思う。

ぼくだけがいない町

アマゾンプライムで「僕だけがいない町」を視聴。

藤原竜也がいい演技していた。がストーリーは、ん?って感じ。漫画原作だったらしいが、かなり駆け足で消化したんじゃなかろうか。と思ってWikiで調べたが、面白いなあ。最終的に犯人は典型的なキャラクターとなってしまったが。リバイバルの設定が、ある条件を回避しないといけない、というのがまたいい。

石田ゆり子が、年齢不詳の母親役を演じていたが、はまっていた。これまたwikiで調べると会社社長兼女優なのね。なんというか、すげえな。

映画の評判は原作ファンからは酷評されるものみたい。確かに、ストーリーに疑問持つことが多かった。

序盤で主人公の能力の説明。能力の説明を通じて、母親の登場、母親の洞察力の高さを見せつけつつ、いきなりの誘拐シーン。いやな雰囲気を感じつつ、母親殺害まではまっしぐら。そこから過去に戻って、過去の誘拐事件を回避しようと奔走するが、失敗、再度未来へ。この後の未来篇がいまいちなんだよな。有村かすみの役が、ストーリーカットされたせいか、説明不足でなんかあまり救いになってないんだよな。携帯電話にメールが来るシーンも、映画だけで見ていた時は意味がわからなかったが、後程調べて納得。tっていうかそれだと意味が分からんだろう、ということを理解した。

担任教師が怪しいと思いながらも二人きりになることに警戒しないし、それなら舞台を変えてしまうとかいろいろ工夫できたと思うんだけど、妙なところだけ原作踏襲でいまいち乗れなかった。

原作の漫画は全9巻とのことなので、またブックオフにでも立ち寄った際に探してみようと思う。

 

今日は仕事で、これまでみんなで積み上げてきたものが、トップの鶴の一言で瓦解する瞬間に立ち会ってしまった。1年近く議論をしてきたものなので、それならそれで早く言ってよ、といったところ。関係者が納得するかなあ。明日以降の展開がどうなるか注視する必要がある。

【自己分析】英語を学ぶ意味

先日、英語の勉強がはかどらないという記事を書いたが、今回は何故はかどらないか考えてみようと思う。いくつかあるが、まずは箇条書きでピックアップしていく。

1.勉強する時間がない

そもそも勉強する時間がない。まとまった時間勉強しないといけないという意識が働いているから、家出の勉強はなかなかできない。だいたい通勤、退勤時の時間に限ることになる。通勤には自転車を使っているので、おのずとリスニング学習が中心となる。

ライティングなんかは家で腰を据えてやらないといけないが、その時間がない。

基本はリスニングを通勤時にやる。往復で50分程度の時間を確保できる。その復習、予習を朝晩にやるのがいいのかもしれない。

単語学習であれば、夜には30分程度文字を眺めて、翌日の朝、30分程度使って振り返りの時間を取る。これで一時間+往復の通勤の50分で毎日2時間近くを確保できる。

2.勉強する順番に自信が持てない。

単語、文法、試験対策といった流れを考えているが、単語が終わってから、文法、文法が終わってから、試験対策(過去問)と明確に終わってから移行することはないわな。グラデーションかけて対策していくことになると思う。

3.ほかにやりたいことありすぎ。

1、の時間がないとほぼ重複。筋トレ系は他の時間を奪うので注意しなければいけないけど、試験まで2か月程度なので、毎日2時間程度やって、その結果どうなるか、確認するのも良いかと思う。

4.家で勉強するにも机が小さい。

図書館や喫茶店で勉強するのもありか。職場に居残ってやるのは、最近の風潮から言うとあまりよくない。家でも快適にしっかり勉強できるスペースを確保する必要がある。

家が狭いもんで隣の部屋のテレビの音が聞こえてきたりであまり集中できなかったりする。

 

英語の勉強をはかどらせるためには、家での学習環境を整える。通勤通学の時間の学修を効率的に行えるように、朝晩の準備をしっかりする。どの順番で勉強するか、プランを立てる、といったあたり。まずは勉強プランを立ててしまおうかと思う。

 

ここまで快適が付いたが、英語を学ぶ意味じゃねえな。英語を学習することでどういったメリットが発生するのか整理する必要がある。

鍵泥棒のメソッド

アマゾンプライムで視聴。

ミステリ好きな人の間でラストのどんでん返しが良いという評価を聞いたので期待して見た。結果は端的に言うと、期待外れ。そこまで面白いかあ?ッという感触。

たぶん自分は堺雅人の演技が苦手なのだ。堺雅人半沢直樹での役がはまり役だったというだけで、基本的にあの感じしかできない役者だと思ってる。もしくはにこにこの演技。まあ色々なことができる役者が巧い役者かっていうとそうじゃないから別にいいんだけど、木村拓哉とか竹中直人とかが巧いかっていうと、それは違うんじゃない?って思ってるので、個人的に、あくまで個人的にそれほど評価をしていない。それで言うと本作のヒロインである広末涼子にも同じことが言える。

監督の内田けんじが演劇の人ということもあってか、演技も舞台テイスト。終盤の香川照之との演技の練習なんか非常に良かった。ギャグもなんというか舞台向けのネタっぽいんですが、これについては鼻に付く人ももしかしたらいるのかもしれない。私は好きですけど。

伏線が張られまくっている、という前評判だけど、素直に回収されるのでそれほど印象に残るものはなかった。とあるサイトでは序盤、香川照之が犯行に及ぶ直前に聞いていたクラシックと、記憶を取り戻した時にかかっていたクラシックが同じで、それを伏線と書いてましたけど、それは違うでしょ。

ラスト、堺雅人のもとに、一階に住む猫好きの女がやってきて、恋の予感を感じさせて物語は終わるけど、これはちょっと蛇足かな。でも映画のラストってちょっとさみしいから、ああいう演出は嫌いじゃないです。

堺雅人が、香川照之の昔の写真をめくるシーンで意味深に画面の半分で手を止めるもんだから、まさか奥さん森口瑶子か!?と無駄な推理をしてしまったが、そんなことはなかった。森口瑶子の豹変ぶりが良かったけど、まあ予想の範囲内。

ラストシーン、大層に抱き合うのは、リアガラス越しは良くなかったと思う。間接的に描くのではなくて、直接的に見せてほしかったな。あそこで少しすかされた感じが出た。まあラストなので、余韻と取るか。森口瑶子の壁殴りで終わるのって、なあ。