孤島の鬼

日々の備忘録。文章表現、感情表現の練習の場です。更新はなるべく毎日・・・

失礼な奴との遭遇

世の中には色々失礼な奴がいます。人が遭遇してる分にはまだ話のネタにもなります。まとめサイトでもそんな人がたくさんいて、私も暇なときは眺めているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。そんな失礼な人ですが、いざ自分が遭遇するとどう対処していいものかわかりません。

先日、具体的な話は割愛しますが、私も失礼な人に遭遇しました。私自身に直接的に被害を被るわけではないのですが、私がしくじってはいけない人に失礼を働きました。

で、何が腹立つかって、それを指摘しても言い訳しよるところなんですわ。いや、今のはちょっとどうかと思うけど、どう?って感じで行くと、だって、でも、のオンパレード。うん、君の言いたいことはわかるけど、今この指摘している観点は理解できない?と言ったらそれは無視。痛いところを突かれたのか、まったく悪びれてないのか、聞き入れません。ここで、そもそも失礼なことではなかったのではないか、という疑念がよぎりますが、失礼を働かれた相手は当然怒っておりますし、自分自身も謝っているのです。

じゃあ私の指摘が悪いのか、という話になると思うのですが、もちろんその可能性は否定できません。私が指摘すべきことではない、ということもあると思うのですが、この件については、失礼を働いた人と、同じグループに私も所属していまして、今回の怒りを買った件はグループとして失礼を働いたという認識を持たれているはずです。こればっかりは本人に確認することがもはやできないのでよくわかりませんが。

それぐらいの怒りを抱かれたことに、私は後で気が付きました。それで失礼を働いた人に、なぜそのようなことをしたのか、と聞くと、だって、でも、私はこうしたかった、というのです。今回はスペースをお借りして、そこの使い方について、間違いがあったため、怒りを買ったという流れですが、お借りしている以上、貸主の意にそぐわない使い方があった場合は、まずは素直に謝ることが大事だと思います。もちろん金銭的なことや、ふっかけてきているというか、いちゃもんをつけられているということであればちゃんと言い返す必要はあるかと思うのですが、今回はさきほども書いた通り、自分自身も謝りを働いたという認識です。

それなのに、でもでも、だってだってです。なぜこんなことしか言えないのか。心底あきれました。愛想を尽かすというやつです。お借りしたものは、きちんと使って、借りたまえ以上にきれいにして返す(これはなかなか大変ですが、人によっては当たり前なことだと思います。私もなるべくそうするように努めていますが、必ずできているかと言われると、少々不安です。まあ心がけですね。)べきだと思いますが、まず言い訳が先立ちます。

貸主も相当怒られてたようで、もう二度と貸さないといわれてしまいました。

同じグループということもあるので、もちろん私の監督責任も問われますが、そもそも私はそのスペースをお借りする必要がないのではないが、自前で準備できるのではないか、という考えでその旨伝えていたのですが、どうもそれは嫌、(自前は使用にあたって掃除が必要。失礼を働いた奴は掃除が嫌いです。)とのこと。

貸主と失礼を働いた奴は懇意にしていることから、そういったこともあって、借りることになりました。

失礼を働いた奴が失礼を働いた時に私は同じ空間にいたことから、私に責任は全くないとは言いませんが、過失の度合いは小さいものだと思います。

色々と書きましたが、要は失礼な人と遭遇しました。

職場や趣味の場で例えばこういった失礼な人に会った場合、私はすぐに縁を切ります。無駄だからです。付き合うことによって失うエネルギーだなんだかが。とにかく付き合いをやめます。

ただし今回の場合それができません。なぜなら失礼を働いたのは私の妻だからです。怒りを買ったのは相手は義理の父だからです。

心底愛想がつきながら、この関係が続けないといけないことがつらいです。しかも相手は反省していません。これがあと60年近く続くかと思うと、絶望しかありません。

自分で選んだとはいえ、こんな苦しみを背負う必要はあるのでしょうか。理解できないので現在コミュニケーションは絶っています。